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ボローニャの柱廊にて 16「はじめに言葉ありき…ってか!?(後)」(週刊上田 2005年1月29日掲載) 週刊上田に連載されたものを、許可を得て掲載しています。 |
ここイタリアは、“人と違って当たり前”のお国柄。われわれ日本人にとって総じて居心地は悪くありませんでした。 しかし、あらゆる場面で改めて言葉の重要性を思い知らされました。アカデミアは、全部の科に数人の若い日本人学生がいます。いずれも半年〜1年間、イタリアの語学学校で学んでから入学しています。 私自身は、年のせいにすると単語ひとつ覚えると、ひとつ忘れる状態です。ふだんから女房が私に言う日本語ですら耳に残っておらず、始終叱られているので、まして外国の言葉など壁のまた壁です。 それでも、多くのイタリア人はこちらが何を言わんとしているのか、じっと眼を見て待っていてくれます。イタリアの学校は、小学校から大学まで、生徒一人ひとりが先生の前で学んだことを基に、自分の意見を述べるのが、試験のあり方なのです。 美術専門のアカデミアですらそうです。言葉こそがものを言う国なのです。日本のように以心伝心は通じないのです。だからイタリア人はおしゃべりが好きなのでしょうか。 バスのなかで、運転中の運転手に話しかける人がけっこういて、「やめろよな〜」と思ったことが何度もあります。それでも事故にならないのが、さらに不思議なのですが…。 |
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